勇者の背中を見た

 

US$が360円であった頃、外貨の持出しが制限されており、簡単に外国へ旅に出られませんでした。それでも、 槇有恒さんが隊長でマナスルへ登頂して、国内では登山ブームとなりました。ヒマラヤの情報もだんだんと多くなるなかで、 チベット ラサのポタラ宮の写真とネパール ナムチェ・バザールの地名が気になっていました。
その後、仕事と家庭にかまけて永いこと山から遠ざかっていました。ひょんなことから仕事でラサへ行く機会にめぐまれまして、 あの壮大なポタラ宮を目にすることが出来たのです。もう一つのナムチェ・バザールへも是非行きたいと思いつつ、再び十年以上が 過ぎました。昨秋のエベレスト街道トレッキングで漸くそれが実現したのです。
ルクラよりドゥードゥ・コシの吊り橋を何度か渡り返して、急な登りを克服するとナムチェ・バザールへ着きます。
シェルパ族の聖なる山クンビーラの懐、3400~500mの急な南斜面に馬蹄形に村は展開しています。豊かな水に恵まれており、今では ターメから電気も供給されています。メイン道路には石畳があり、その両側にはお土産屋とロッジが並んでいます。そうそう、美味しいパン屋も 2軒ありました。トレッキングに必要な装備と食糧もすべて揃っています。
ソル・クンブ地域で最大のシェルパ族の村であり、登山・トレッキングの基点としても存在は大きいのです。また、名前の通りかっては通商の基点でもあり、 今でもバザールがたちます。
村の東側、タンボチェ方面へ行く急な坂道を登ると、国立公園オフィスのある地域に出ます。そこに小さなミュージアムがあり、 エベレスト登頂者の写真が飾ってあります。登山隊の全てがシェルパの協力を得て登頂に成功しているのです。そして、この地ではエベレスト登頂者は英雄なのです。
高度順化のためにナムチェ・バザールに滞在した日の午後、村の西側に見えるゴンパへ散歩に出ました。郵便局の下の道を登って行くと、マニ車が並ぶゴンパがあります。 ゴンパは修理中のようで、その前で若い僧侶と二人の老人が立ち話をしていました。私はその脇をすり抜けて、尚も坂道を登り続けました。
いつも午後からは雲が昇ってきており、だんだんと辺りはガスに包まれてきました。引き返そうかとも考えたのですが、切の良い所までと登り続けると峠らしいところに 出ました。傍らにマニ石がありましたが、よくある景色なので気に留めていませんでした。しばらくして、ガスが切れてくるとあたり一帯にマニ石とケルンが積まれているではないか。 ガスの彼方には一本の道が続いており、多分ターメへ行く道なのだろうと思いながら右上方を見ると、四角に石組みされた舞台のような所でタルチョがはためいていました。 以前、チベットで見たことのある鳥葬場のように見えました。ガスの中で見たので一層そのように見えたのかもしれません?とにかく、私には墓地に見えたのです。そうならば、 よそ者がみだりに立ち入らないほうが良いと考えて、引き返すことにしました。
夕方になっておりましたので、ゴンパの修理は終わっており誰もいません。急坂を下ってゆくと、かなり先を一人の老人が歩いているのが見えました。「登りにすれちがった老人かな?」 「二人の老人がいたけどな、、」「やっぱり、あそこは墓地で墓参の帰りなのだろうか?」等など勝手に想像を巡らしていたら追いついてしまった。とても危ない足取りで歩いていたので、 近づいて「メイ アイ ヘルプ ユー」と声をかけると、振り返った老人はニッコリと笑って「ノー」と答えました。私も笑い返して 「エクスキューズ ミー」とそのまま追い越してきたのです。
「英語で返してきたけど、若い頃に登山隊で活躍していたのかも、、」「ひょっとしたら、ミュージアムに飾ってあった写真の一人では、、」
なんだか、暖かな気持ちになると同時に、老人の背中にシェルパ族の誇りとオーラが出ていたことに気づかなかった自分を恥じたのです。

K・I 記


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