三姉妹のいるロッジ

 

ナムチェ・バザールからキャンズマを経て、サナサでカラパタールへ行くコースとゴーキョへ至るコースが分かれる。
ゴーキョへのコースは、ドゥードゥ・コシの右岸につけられている。モン・ラ、ポルツェ・テンガ、ドーレと通過してラバルマに着く。ここにぽつんと一軒だけロッジが建っているが、普通は通り過ぎてしまうのだろう。しかし、正面にカンテガとタムセルクが手にとるように立ちはだかっている。頂上がドーム状に聳えているカンテガ、圧倒的な雪のナイフリッジのタムセルク。何時間見ていても飽きない。
前日モン・ラに泊ったので、急ぐ旅でもないのでここに泊ることにする。
ロッジは10人も泊れば満員になってしまうだろうと思われるほど小さい。チベット系のかわいらしい三姉妹が管理をしていた。
夕方になって二人のアメリカ人青年が同宿となる。アイダホとジョージアの出身だそう。夜になると、一人は西部劇に出てくるようにブランケットを身体に巻きつけていた。謙虚で感じの良いカーボーイの子孫達だ。
当夜はこれだけの宿泊者でしたので、とても気楽でアットホームな夜を過ごせたのです。
話は変わりますが
今回のトレッキングは一人(ガイドと二人)だったので、ロッジでは人間ウォッチングを楽しんでいました。
トレッカーは、アメリカ人が多いと思っていたのですが戦争中なので少なかったようです?
6割がヨーロッパ人、アメリカ人と日本人とアジア人が各1割で残りの1割は国籍不明でした。
フランス人の団体は皆が背中を丸くしてすり足で歩いているようで、病院の散歩のように見えました。今回の戦争でブッシュが相手にしなかったのが理解できるような気がします。それでいて自己主張は強いです。
ドイツ・イタリア人は少なかった。景気が悪いのでしょうかネ?
ロシア人のオバサンは難波のオバサンにそっくり。ころころしていて、控えにまわらず前に々々出てくる小金持ち。
エベレスト初登頂のイギリス人は特徴ナシ。
相変わらず団体になると煩い日本人。

雪に降られて、全員が停滞を余儀なくされていたロッジでの話。
だるまストーブが一つしかない食堂は大混雑をしていました。相変わらずフランス人の団体がテーブルを占拠している。他の人たちはベンチにくっつきあって座っていた。その中に二人のアメリカ人のオヤジサンがいました。瓦体の大きな二人は目立っていました。というよりも邪魔でした。なんとなくヨーロッパ人の見る目が冷めていたような気がします。
順番に食事が出てくるのですが、テーブルがたりないので人が入れ替わるよりもテーブルを食べる人のほうへ移動していました。
アメリカ人の順番となり、食事が終わってなんと彼等はそのテーブルでポーカーをはじめたではないですか。部屋の中が一層冷え込んでゆくのがハッキリと分かりました。しかし、彼らには分らなかったようです。
ラバルマで会ったアメリカ青年との対比があまりにも大きかったです。
現在のアメリカを見ていると、早く世代交代をしないと危ないのではないだろうかと思ってしまいました。

K・I 記


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