2007年 マッキンリー登山報告(4)

 

2007年6月10~7月12日

参加者 : 2 名

8. 登 山 日 記

6月10日(日)曇時々雨 成田→バンクーバ経由アンカレッジ 加藤宅泊
雷と豪雨の中、成田に向かった。
空港に着くと背負っていたリュックと手に持っていたピッケル・ストックを170?のダッフルバックに詰めて個人の荷物を1つにした。
13時30分の集合時間には全員顔を合わせた。
隊長の奥さんも来てくれた。
奥さんの話を伺うと日本での食材の準備は隊長と2人で買い出してくれたそうだ。その食料の梱包は大が2つ、小が2つもあった。
私はそのうち1つとダッフルバックの発送の手続きをした。
全員で軽食をとりながら、これからの予定の打ち合わせをした。
15時にチェックインし、17時発のエアーカナダAC004に搭乗した。
隊長はこの後のノースウェスト便でシアトル経由アンカレッジに行く予定なので別れた。
水は持ち込めないので、キャビンアテンダントは夜中も水を持って回ってくれた。
日付変更線を越えた午前2時時計をあわせた。
6月10日-2
水に囲われたバンクーバに予定どおり9時に着いた。
乗り換えゲートは国際線、国内線、USの3箇所に分かれている。我々はUSゲートに一番に着いた。
入国審査では一人ずつ顔写真と左右の指の指紋を取られる。
搭乗手続き口では上半身はシャツ1枚になり、靴は脱がされた。
帽子をかぶっていたらポリスが飛んできて帽子を調べられた。
またIさんが手荷物の中に水が入っていたので手荷物を全部調べられた。
荷物の積み込み箇所では食料を持っていたため、4梱包のうち1つを開けさせられた。
おかげで11時10分の出発時間を過ぎてしまったが、乗り継ぎも同じ航空会社だったので待ってくれた。
うわさどおりUSに入国時は厳しい検査である。
アラスカの海岸線の山には雪が多いが、アンカレッジに近かづくと雪も少なくなり、13時半に着陸する。
民宿のご主人、加藤さんが大きな車で迎えに来てくれた。
途中の公園でマッキンリー山の雄姿が眺められた。
アラスカの人口は約60万でアンカレッジにその40%の25万人が住んでいるそうだ。
夕食は隊長と20時にとることになっていたので、Iさんと町に散歩にでる。
18時になっても太陽はまだ真上にある。気温も高く、半そでのTシャツ1枚で十分である。
日本との時差は18時間だが、4月の第一日曜日からサマータイムになっているので、いまは17時間である。
隊長と20時半に夕食に出かけたがほとんどの店は21時で閉店になる。
韓国系の店が開いており、ハンバーガーを9ドル50セント、ビールを5ドルで飲んだ。
アラスカ第一日目は民宿でビールを飲みながら23時30分に入り江に夕日の沈むのを見てから寝た。
3時頃目を覚ましたが、昼間のように明るかった。

6月11日(月)晴 アンカレッジにて食料の調達
民宿の朝食は豪華である。8品もある。隊長は世界で一番いいと言っていた。
9時から「肉、行動食、野菜、その他」の担当に分け、1担当2人でスーパー2箇所と日本食屋に買出しに出かけた。
私とIさんは野菜担当である。
こちらのスーパーは売り場が広くて品物のロットは大きい。目的のものを探すのに大分歩いた。
14時から民宿の倉庫で肉、玉ネギ、ニンジン、ジャガイモのペミカンを作った。
野菜は皮をむき、適当な大きさに刻み、炒めてから冷凍にした。
登山期間中の食料を日別朝食夕食別に袋詰めし、袋には何日分の朝、夕食と書き入れる。
個人の行動食も20日分準備する。こんなにも食べるのかと思うほどある。
倉庫には3週間分の食料袋が並んだ。
夕食は買ってきた食材で調理し、分厚い肉をバーベキューコンロで焼きながら、加藤さんの家族と一緒に食べた。

6月12日(火)晴 アンカレッジにて装備の調達
個人装備の調達と食料の不足分の買出しをした。
REI 、AMHを回り、ネオプレーンのオーバーシューズ、ノーズカバー、ミトンを調達した。
すべてAMHで揃えた。AMHの店員はその人に合うオーバーシューズを選ぶのに慣れていた。
水筒の保温袋はこちらで売っているものは蓋が付いていたので、これも買った。
昼食後、加藤宅にデポしてある共同装備を出し、テントを干し、装備別に個数を確認した。
個人装備については軽量化のため、再度全品チェックし、不用品は加藤宅にデポすることにした。
夕食は皆で日本食店「熊五郎」に出かけた。

6月13日(水)晴のち曇 アンカレッジ→タルキートナー—————————-レンジャーステーションで チェックイン、TATの小屋泊
加藤さんがレンタルしてきたトレーラーに荷物を運びいれ、9時30分出発する。
我々が乗った大型車にトレーラーが牽引される。
12時タルキートナーに着いた。
建物も少なく田舎の町だ。
ここは20世紀初めにゴールドラッシュで栄えた町だったそうだが、今は馬車も走り、観光化されていた。
アラスカ隊と合流し、13時にレンジャーステーションにチェックインする。
隊長はレンジャーステーションの担当者とは18年来の付き合いらしい。
入山料200ドルの支払いとビデオを見ながら、天候・氷河の状況とルート上の注意および排泄物の処理の仕方、デポの仕方等のオリエンテーションを受けた。
氷河上はスノーシューかスキーを履くことを進められた。
しかしスノーシューだとヒドンクレバスに首まで落ちてしまった人がだいぶいたそうだ。
我々は全員スキーなので「good idea」といわれる。
デポするときは1m以上雪を掘って埋めて、そこに長い竿に隊名と帰還予定日を付けた標識を立てておくようにと説明された。
排泄物用の袋・ゴミ袋の支給とトイレ用のバケツを4つ借りうける。
出入口には現時点でマッキンリー山の登頂率は30%と表示がしてあった。
次にタルキートナ・エアー・タクシー(TAT)でセスナの搭乗手続きだ。
まずTATでスキーのレンタルをしようとしたが今年から止めたとのことで、近くのスキー販売店に行ったがレンタルはやってなかった。
しかたないのでTATにもどり加藤さんに貸してくれるように交渉してもらいやっと借りられたが、スキーは古くてガタガタだ。
その後セスナに積む荷物を1つずつ秤量し、その合計を持って搭乗の手続きをした。
昨日、一昨日とも天気が悪くセスナが飛んでないので、LPで70名が待機しているとのこと。
ここタルキートナーは晴れているがLPが曇っているらしい。
有視界飛行なので離着地点とも視界がないと、飛ぶのが難しい。
20時まで数機は飛び立ったが、順番は回ってこなかった。
今日はもう飛ばないから、明日の8時に来るようにと言われた。
今日の宿はTATの無料の新しい小屋だ。
小屋にリュックを置いてから、植村直己氏の墓に寄り夕食をとった。

6月14日(木)晴 タルキートナー→LP 2140m
7時起床。晴れていた。
不用品はアラスカ隊の車にデポし、8時20分3機に分乗し出発した。
窓越しにマッキンリー山が見えた。
直線距離にして約100km、出発して40分後、機が山の間を縫うように、サウスイーストカヒルトナ氷河上を上るようにして着陸した。
9時LPに第一歩を踏み出した。もうここは2140メートルだ(帰りにわかったがこの上60mの高さにも滑走する箇所がある。どちらを使うかでLPの標高が変わってくる)。
周りには山々が迫り、白一色の世界だ。
テント村が出来ていて大勢の人が停滞していた。
降りたときにTATから燃料1人1缶を受け取った。
ソリは脇に無造作に積み上げられているもののなかから選べばよいそうだ。
A隊の1機がなかなか来ない。結局12時になって着陸した。
故障で引き返し機体を替えたそうだ。
隊長の方針「白夜といえども昼間に行動する」のもと、今日の出発は遅すぎると、LP泊と決定された。
各隊各々テントを張った(テントは4張りで隊長1人用、A隊4人、アラスカ隊3人、そして私、Iさん、Uさんの3人)。
テントに3人分のリュックを入れると入りきらないので、シュラフのみ持ち込み、リュックは入り口に置いた。
その後食料を再度日別にソリの上に並べて、ツエルトをかぶせる。
LPには食料1食分とビール3箱をデポした。
夕方にはロープワークを全員で確認した。
夕食は隊長とUさんが準備してくれた。献立は大きな生肉を焼いた、ビフテキと味噌汁・ご飯だ。
明日からの食当の順番も決まり、私はIさんと明朝が当番だ。
小キジの場所はテントから少し離れたフラッグがたっているクレバスだが、落ちたら這い上がれそうにないので、気をつけねばならない。
後ろから見ると男女の区別がつかない。
この夜は一晩中テント脇で、下山してくる人の足音・話し声、時として出発する人の大声での合図などでうるさくて眠れなかった。

6月15日(金)曇のち快晴 LP 2140m→C1 2450m 11:20~19:00 歩行7時間40分
食当のため6時15分起床し、食堂兼台所兼集会所のT型テントで準備した。
昨日整理した食料と共同装備を隊長が隊員に振り分ける。
テントに付随する装備はテントを利用する人で按分する。
これらをリュックとソリに分散した。
10時ごろからピーカンになる。
テントと同じメンバー毎に4チームに分け(KUさんは隊長と2人のチーム)、8ミリロープでアンザイレンする(N型アンザイレン法)、ソリはウェストベルトに繋ぐと同時に、後ろのメインロープにも連結する。
クレバスに落ちたときはセルフレスキューできるように、ユマールをつけ、シュリング1本つけ加えれば自己脱出できるようにした。
スキーを履き、11時20分出発する。
我がチームはIさん、私、Uさんの順である。
西に1km、標高2040mぐらいまでカヒルトナ氷河本流にぶつかるまで下る。
下りなので楽だが少し急な箇所はソリが先に滑ってしまうので引かれてしまう。
慣れてないせいか下りきるまで1時間30分かかった。
ここから北に方向を変え、カヒルトナ氷河本流を距離10km、標高にして400mの緩斜面を上る。
トレールは大きなクレバスを避けながら蛇行し、はっきりついている。
トレールをどおりに進むとスキーもうまくすべる。
クレバスを渡るときは直角に横切る。
覗くとどこまで続くかわからな深い割れ目がついている。こんなところには落ちたくない。
C3まではクレバスが多いので気が抜けない。
地図と現地の地形をあわせ、今日の目的地C1の位置を確認する。
そのC1はすぐ近くに見えるが全体のスケールが大きいのでなかなか近づかない。
太陽に頭から照らされ、腕時計の温度計は33度になっている。
周りの非日常的な景色を見ながら気分よく歩くが、最後には腰にきていた。
C1に着いたのが19時だ。
今日は初日で慣れていないのと、行程中1番距離が長いので、時間がかかった。
腹がへり、後半は馬力がでなかった。
着いたらすぐにペミカンを雪の中に埋めた。
20時ごろ太陽が山に隠れ日がかげると、とたんに寒くなる。夜はやはり大変寒い。

6月16日(土)晴 C1 2450m→C2 2800m 10:30~15:30 歩行5時間
今日も10時30分ごろから快晴となる。
昨日暑かったので、衣類を調整した。
靴下はアウトラストの中厚のもの、ズボンはフリースのタイツをアウターとして利用、上は昨日と同じで薄手の化繊と夏物の長シャツとしたので快適である。
コースは昨日に引き続きカヒルトナ氷河をほぼ北に2km、標高にして350メートル上る。
距離は短いが傾斜はある。
トップをIさんと変わる。ラストは昨日と同じUさんだ。
10時30分に出発するがはじめから傾斜がきつく、ソリの重みが足腰にかかる。
2時間過ぎるとやや傾斜がゆるくなるが、上り一方だ。
30分ごとに休憩をとる。喉が渇かないうちに水を飲む。
飲んだらすぐに足元の雪をすくって水筒にいれる。歩いているうちに融けてまた飲む。これを繰り返し、水だけで2?を飲むように心掛ける。
早く溶かすにはリュックの雨蓋にいれるか、ソリにつけたスタッフバックの一番上においておく。
また昨日のようなシャリバテにならないように、行動食を休むたびにとった。
このおかげで、周りの景色を楽しみながら歩け、最後までバテルこともなく、15時30分にC2に着いてもまだ余裕があった。
テントを張った後、銀マットを敷いた上に濡れているものを広げて、すべて乾かした。
18時ころになると寒くなりテントにはいる。

6月17日(日)曇一時晴 C2 2800m→C3 3300m 10:30~16:30 歩行6時間
今日はカヒルトナ氷河を北に3km、そこから大きく回りこみ東に1km、標高にして500m上る。
最初はやや緩斜面だが最後は急傾斜となる。
ソリを引くのは今日が最後になる。
トップをIさんに交代し、10時30分に出発する。
風が吹いていたので下は雨具を着た。
最初の60mはソリを引くには傾斜がきつい。
ここは富士山の6合5勺を超えたあたりなので腹式呼吸を意識してやりだした。
大きく回りこむあたりは氷河の幅も狭くなってくる。
途中ガスが出てきたので、上も雨具を着る。手袋も毛の厚手をつける。
時々スキーシールに雪がつくので払いのけながら進む。
東に方向を変えたあたりから急傾斜になる。ソリに後ろから引かれる感じになる。
休憩のときはソリを最大傾斜線に対して直角にしないと、ソリが滑り落ちていってしまう。
一歩一歩進む。傾斜が最大のところにくると、前を行くアラスカ隊の一人が何回もひっくりかえる様子がガスを通してかすかに見える。
Iさんもシールに雪がつき、ソリに引かれ前に進めず、何回も転んで立てなくなってしまう。
そのうちアラスカ隊が自分たちの荷物を置いて、応援に来てくれた。ありがとう。
距離にして100mぐらいの急傾斜が過ぎるとゆるくなり、しばらくしてC3に16時30分に到着した。
C1、C2、C3ともポイントとしてあるわけでなく、だいだいこのあたりと見当をつけてテントを張る。
だから100m以上離れているテントもある。夕食は食当でカレーを作った。

6月18日(月)曇時々晴 休養日
MCまで荷揚げと思っていたところ、休養日になった。
なんとやさしい隊長だ。疲れもたまっていたのでいいタイミングで休めた。
テントの回りを散歩したり、シュラフを干したりしながら一日ゆっくり休んだ。
ここは富士山の8合目あたりなので、これから上は腹式呼吸を意識できる間はやるようしようと決めている。
体調としては日本にいたときからキジが硬かったが今日から正常にもどった。
また体の循環をよくするため、全員ダイアモックスを半錠飲みはじめる。
とたんに小キジの量が増えて色も限りなく透明になる。
夜もピーボトルをはじめて3回使用した。

6月19日(火)ガスのち晴 気温-7.4℃ C3 3300m→MC4330m→C3  ————–8:00~17:50  歩行11時間  MCへ荷揚げ
起床5時、今日から毎日隊長が起床時の気温を測る。
6時朝食。今日は高度順化のため、MCまで荷揚げだ。
コースは北東にモーターサイクルヒルを超え1km、そこから東南方向にウィンディコーナーをめざし2km、さらに東に1.5km、標高にして1000mを往復する。
7時から荷揚げする共同装備を分配し、8時にアンザイレンのトップで出発した。
ここからはアイゼンをはき、荷物はリュックで担ぐ。
ソリは5台持っていき、帰りに回収した気象機材を運ぶ。
リュックは会の冬山合宿よりやや重い。
C3からは寒さを覚悟していたので衣類は冬山仕様にした。
ところが朝のガスがかかっているときは寒かったが、途中より晴れて暑くなった。
モーターサイクルヒルの上部は急傾斜だ。
ウィンディコーナーあたりは天気が悪いと、風が強く低温で手が凍傷になりやすい、さらにガスが出ていると迷う人がでる。
今日は衣類を脱ぐほど暖かだった。もう4000mを超えている。
ゆっくり歩きながら腹式呼吸をする。傾斜にあわせて吐く吸うの回数を変えるが、ゆっくり歩きながら腹式呼吸する、のリズムはくずさない。
Iさんは苦しいとみえて、休憩しようと後ろからたびたび声がかかる。
左上にウェストバットレス、右下に大きなクレバスをみながら急傾斜をトラバースする。
いつもなら青氷らしいが今日は凍っていない。
最後にクレバスを避けるため右に大きく旋回してMCに15時に到着する。
すでにブロックが積み上げられている箇所が空いていたので2ヶ所に分散してデポする。
帰りは荷物がないので飛ばそう、と隊長からの指示で16時に下山開始しC3には17時50分に着いていた。

6月20日(水)晴 気温-7.5℃ C3 3300m→MC 4330m 9:10~18:30 歩行9時間
テントを撤収し、食堂があったところにスキー・ソリ・不用品をデポする。
9時10分出発する。
荷物は個人装備が中心で昨日に同じぐらい重い。
コースも昨日と同じだが最後はやはりきつかった。
Iさんも相当きつそうで、腰にきたと言っていた。
18時30分にMCに着いた。C3からの時間は昨日と同じであった。
すぐに周りにブロックが積み上げられた場所に、テントを張りにかかるが、作業すると息ぐるしい。
雪を削る作業を平地と同じペースでやっているうち、頭が痛くなってきた。
登ってくるときは呼吸法を続けていたが、作業のときはすっかり忘れていた。
30分程度過呼吸ぎみに腹式呼吸していたら頭痛はとれた。あぶない、あぶない。
この山行で高山病の症状が発生したのは、このときだけだった。
今日は食堂テントを張る時間がないため、簡易テントをはり、食事をとるが寒かった。
MCの寒さはC3までの寒さとはだいぶ違う。
ほとんどの人がダウンをとりだす。

S . F 記


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