2007年 マッキンリー登山報告(5)

 

2007年6月10~7月12日

参加者 : 2 名

8. 登 山 日 記  2

6月21日(木)晴 気温-14.5℃ 休養日
今朝から起床時に隊長がテントを回りながら、パルスオキシメータで隊員のSPO2(動脈血中の酸素飽和度)と脈を測ってくれることになった。
私のSPO2は90だった。良い方だ。
9時30分に朝食をとる。
日が出る前は寒い。日があたってくると、途端に暖かくなる。
今日は全員で食堂テントを設置する。
C3までは前日に滞在した隊のものがあったので、その跡を少し手直しするだけでよかった。
ここは多くの隊が滞在し、テント村になっており、下山した隊が残したものはなかったので、自分たちで作る必要があった。
MCは強風も吹くのでブロックの積み上げも必要で一日がかりだ。
食堂は台所・集会場も兼ねるのでかなり大きいものになった。
隊長のテント脇から直接食堂に行けるトンネルもMさん、KOさん、私の3人で掘った。
隊長はそのトンネルの真ん中あたりに横穴を掘り食料貯蔵庫とした。
夏のMCにはレンジャー・医師が常駐している。気象観測もしている。
そのため丈夫な大きなテントが3棟(観測用、医療用、居室用)ある。
食堂テントが完成した後、見学に行った。
医者はボランティアできており、高山病の症例を集めているそうだ。簡単な手術はここでできる設備もあるそうだ。
何年か前に肺水腫になった人の肺から水を抜いたこともあったそうだ。
我々にとってはありがたい存在だ。
今回使用する気象機材はすでにヘリコプターで運び込まれいたのでテントに持ち帰った。
トイレは洋式・和式2つが準備されていた。
これまで天気が良かったせいか、KOさんは雪やけで唇が真ん中で裂け腫れてしまっている。食事をとるのも痛そうだ。
また風邪ぎみだと言ってマスクをつけだした。
Yさんは頭が痛いと調子がわるそうだ。
KOさんは医師に日焼けどめクリームについて質問すると、日焼けどめクリームは塗ると白くなるものがよいそうだ。
油の入ったクリームはよけい焼けるそうだ。
隊員は皆真っ黒になっている。まだらに皮がむけている人もいる。
夜中に風が吹き、次に雪となった。雪がふると途端に暖かくなり、厚手のフリースを脱いだ。
ピーボトルも使い方がうまくなり、シュラフで寝ながら使えるようになった。

6月22日(金)雪のち曇 気温-10℃ ホワイトアウトのため停滞
起床時SPO2は72だった。まだ高度順化できていない。
今日はホワイトアウトで停滞と決まった。
午後から昨日作った食堂が積み上げたブロックとテントが合わない箇所があったので、全員で手直しをし、風や雪が入らないようにした。
ここでは下山するパーティの食料・燃料が余ってる場合、ソリに余った食料・燃料を載せてテント村を周り、食料をいらないかと声をかけてくる。
アラスカ隊が対応する。
こちらも余分な荷物を増やしたくないので、もらう食料を厳選する。
相手も荷物を減らしたいので、もっといらないかと交渉が続く。
隊としては燃料をもらった。私はここでもらった行動食の約1日分があとで役に立った。
中国人がテントの脇にきて7大陸の最高峰を狙っていると話しかけてくる。KOさんと対応する。
マッキンリーに登ると5つになるらしい。
英語と手帳に書く漢字でやっと意思疎通ができた。
KOさんは学生時代から山をやっていてブロックを積むのがうまい。
今日の夕食は食当でIさんとうなぎ、さんまの缶詰め、ご飯、味噌汁を準備した。
唇が一昨日から腫れ始めて痛い。Iさんから日焼け止めクリームを借りることにした。
山にはいって9日目で、そろそろ日にちの記憶があやふやになってきた。

6月23日(土)曇時々晴 気温-8.3℃ ホワイトアウトのため停滞
SPO2は92になったので、高度順化は順調に進んでいるようだ。
今日もホワイトアウトで停滞。
この天気を推して、出発した隊は10人の1パーティのみだった。
午前の食事は昨日下山予定パーティからもらった、韓国のジャージャーメンとラーメンだった。
前者は甘く、後者は少しからかった。
ここにいると世界のものが食べられる。
昼食後、13時から高度順化のため7人で、ウェストバットレスの中間にある大テラスの手前4750mまで上ってみた。
登りが1時間30分、下りが30分だった。
歩いている時は日が出ているとシャツ1枚でいいし、曇ると冬装備が必要でその差が激しい。
ネオプレーンのオーバシューズをはじめてはいたが、はくと暖かかった。
周りにはスキーで滑って楽しんでいる人もいる。
下りてからホットケーキ、スープを夕食代わりに食べた。

6月24日(日)雪 気温-11.5℃ ホワイトアウト・雪のため停滞
今日も朝から雪が降りホワイトアウトである。
10時に停滞と決まる。もう予備日がなくなる。
明日からの3日間晴れますように!
MCで停滞しているのがせめてもの救いである。HCでは高すぎるし、C3以下では低すぎる。
この高さが高度順化に調度よい高さなのだ。
夕方頂上にアタックして下山してきた8人のチーム(内ガイド2人)が隣にテントを張った。
話を聞くと、頂上から下山時に手袋・帽子を飛ばされ、1人のガイドが道に迷い、11時間のところを17時間もかかってもどったと言っていた。

6月25日(月)雪 ホワイトアウト・雪のため停滞
10時に停滞と決まる。
今日はエッジ・オブ・ワールドに行った。南に30分程度いったところだ。
そこから南下にノースイーストフォークカヒルトナ氷河、東にカシンリッジが見える。
カシンリッジは雲が早く流れており、時にはガスで見えなくなる。
午後からTさん、Mさんはスキーをやる。
滑っている脇には大きなクレバスがある。
16時から晴れてくる。明日は晴れそうだ。
明日のHCへの荷揚げの共同食料と共同装備を分配した。

6月26日(火)快晴無風 気温-10.5℃ MC 4330m→HC 5250m→MC
9:00~21:00 歩行時間 11時間 HCへ荷揚げ

待ちに待った快晴だ。
今日は3日分の食料と装備・気象機材をHCに荷揚げする。
ルートは北へ600m上りウェストバットレス稜線に出て、東へリッジ沿いに進んでHCへ、全長3km、標高差900mである。
これを往復する。
全員オーバシューズをはいて、9時に出発する。
アンザイレンは私、Iさん、Uさん、隊長の順。
他のパーティはまだ誰も出発していない。
初めは緩斜面だが徐々に傾斜がきつくなってくる。
2時間ばかり上ると、大テラスがあり、左にトラバースすると上り下り別に2本のフィックスロープが張られている。
私達を途中で抜いた人たちが取り付いている。
テラスのところで30分ほど順番待だ。
傾斜は約40度で全長250mぐらいか。
ロープのつなぎ目の箇所ではセルフ用のカラビナをかけかえてから、ユマールをかけかえる。
8~9回ぐらいかけかえると、次は岩稜と雪稜のミックスである。
ここにも1箇所フィックスロープが張られている。
今年は雪が多くリッジ沿いに歩ける。
途中暑くなってきたので衣類を調整する。
オーバシューズを履いているので蒸れる。
最後に黒い岩を超えて、17時にHCに着いた。
すでにブロックで囲いができて、2箇所に装備・食料を置き、ツエルトで覆った。
HCを18時に出発し、21時にMCにもどった。
汗を掻いたので寒くなる。アタック用に衣類を替えたが、夜も寒くなかなか寝付かれなかった。

6月27日(水)晴時々曇 気温-14℃ MC 4330m→HC 5250m12:00~20:00 歩行8時間
HC方向の山に笠雲がかかっていたが、隊長がこれなら大丈夫と12時に出発した。
今日は個人装備とテント周りのものを担ぐ。
昨日A隊のKUさんがフィックスロープで不安定だったので、ザイルパーティはIさんとKUさんを入れ替えて、我々のアンザイレンの順は私、KUさん、Uさん、隊長となった。
UさんがKUさんをサポートする。
IさんはA隊に入る。
A隊がいつものように真っ先に行動を起こし、先頭を行く。
フィックスロープの箇所は待ちがなく、4時間でリッジに上がってしまった。
ところがリッジ沿いのフィックスロープの箇所で行列ができており、30分以上待った。
ここから混雑していて、登っては休み、登っては休みを繰り返すことになり、HCに着いたのが20時になってしまった。
昨日確保した2箇所の陣地のうち、広いほうは外国パーティに占領されていた。
国立公園法に照らしてどかせてもらいましたとのこと(公園法では人がいないときは占有してはいけないらしい)
しかたないので空いていた箇所のブロックを補修し、テントを張った。
HCでは隊長も我々のテントに入り、全部で3張りである。

6月28日(木)晴風強し 気温-9.5℃ 休養日
今日は風が強いのと、昨日着いたのが遅かったので休養日になった。
稜線は雪煙が上っている。
朝隊長がダウラギリ5峰3峰2峰と縦走したときのことを話してくれた。
仲間が高山病になったこと、50m滑落したこと、テントが焼けてしまったことなど、聞いていても緊張した。
9時30分から1時間程度テントの周りを散歩した。
南西側に50m歩くとLPから歩いてきたルートが見渡せる。
ハンター山もホレイカー山もはっきり見える。
MCに比べてここは時々息が苦しくなるときがある。早く慣れよう。
10時頃、デナリパスに向かって12人が上っているのが見えた。
キャンプサイトは20張り程度であり、すでに繁忙期は過ぎたようだ。
HCではトイレはレンジャーで借りたバケツに1人用の袋を敷いたものを用いる。
外は冷たい風が吹いているので物陰を選ぶが、尻を出すのに勇気がいる。
そしてすぐに凍ってしまう。それをMCまで持ち帰る。
5日前から鼻の両側が荒れて白くなって痛い。
また昨夜から冷たい空気のせいか時々咳きこむ。朝方には慣れてきたのか回数は減ってきている。
昼食はおかゆにスープをテントの中で食べる。
ここでは皆1箇所に集まらずにテント毎に中でバーナーで湯を沸かし、食べる。
HCに持ってきたのはすべておかゆなので腹が減るのも早いようだ。
15時ごろ朝上ったメンバーが引き返してきた。
風が強かったのだろう。

6月29日(金)快晴のち曇 気温-16℃ HC 5250m→頂上 6194m→デナリパス上5600mでビバーク 10:30~30日3:00 歩行16時間30分
いよいよアタック日だ。日があたる7時に起床し、10時30分に出発した。
アンザイレンは私、KUさん、Uさん、隊長の順だ。
ルートは東北東方向へ向かいデナリパスを超え、南に進路を変え、平らなフットボールフィールドを過ぎ、最後は東にナイフリッジを渡ると頂上になる。
全長4km標高差950mの往復である。行きに8時間帰りに3時間の予定であった。
上半身の服装は厚い化繊の下着の上に薄いフリース、厚いフリース、雨具、ダウン。
下半身は化繊パンツの上にフリースのタイツ、冬ズボン、雨具、ダウン。
頭には薄い目出帽と高所帽、足は毛の靴下、プラブーツ、オーバシューズ、アイゼン、手は毛の薄い手袋2枚とミトンにピッケルである。
これは帰ってくるまでこのままであった。
暑いときはチャックの開閉で調整した。
サブザックにはテルモス、カメラ、行動食、手袋の予備、腰には1リットルの水筒である。
すでにデナリパスを数隊が超えようとしているのが見える。
出発時はマイナス15℃で暖かい。東に真っ直ぐ500m行くが徐々に斜面が立ってきて、急斜面になるとトラバースが始まり、デナリパスまで続く。
そこは山の陰になり、日は射さない。
下にクレバスもある。
適当な間隔でスノーバーにシュリングとカラビナがかかった支点が設置してある。
ガイド登山をしているパーティは支点にロープをかけて安全を図っている。
我々は時間がかかるので使用せず、慎重に進んだ。
稜線のデナリパス(5550m)に着くと、途端に東風が強くなった。
少し休み、5700mの気象機材が設置してある箇所に向かい、15時に着いた。
機材は岩の上に設置してあったようだが、風で倒されていた。
こんなことは初めてらしい。
機材にロープをかけて、全員で引っ張り、機材を起こした。
風力計は破損しているのであきらめ、温度計を修理するため、アラスカ隊のTさんYさんが残ることになり、他のメンバーは頂上を目指すことになった。
ここからアンザイレンは私、KUさん、隊長、Mさんの順になる。
A隊は同じメンバーである。
Uさんは単独。
小高い傾斜を超えれば平らなフットボールフィールドが見えるところで、KOさんが急にふらつき始め、片目が見えなくなったと言った。
ゆっくりフットボールフィールドが終わるところで、サブザックをデポし、水筒のみ腰につける。
上りとしては最後の急傾斜の高度差200mがきつかった。1歩踏み出し4呼吸し、また1歩。途中休憩を挟む。
そのとき、急にロープに引っ張られて倒され、咄嗟に滑落停止の姿勢でとめる。
ロープの張っている方を見るとKUさんが倒れている。黙って滑落したのだ。
アンザイレンしていた3人はまだ死にたくない、と言い、KUさんに落ちるときは大声を出すように言う。
登り終わったところで、全員1本のロープでアンザイレンする。
隊長が順番を指定する。
私、KU、隊長、S、KO、U、I、H、Mの順になる。
隊長がKUさんをUさんがKOさんをサポートする。
アップダウンはあまりないが300mの長さの最後のナイフリッジだ。
歩き出しに、隊長がピッケルを両手に持ち、左側の低い壁に突きながら歩くようにと言っているのに、そのとおりやらないので大声でKUさんに注意する。
途中下山中の数パーティと出会い、「コングラチュレーション」とお互いのピッケルを触れ合う挨拶をする。
21時20分頂上に到着した。
全員、隊長と握手を交わす。
気温マイナス19.8℃。風は数メートル吹いている。少し前からガスがかかってきていた。
記念写真をとってから、すぐに下山開始する。
回れ右して上ってきた順とは逆向きになり、私がラストで進む。
時々隊員から休むように声がかかる。
デポしたところまで、ゆっくり慎重に下山した。
ここから調子の悪いKOさんとUさんが2人で最後に下りることになった。
これでA隊は3人での行動となり、最初に出発した。
我々、隊長隊は上るときと同じ、私、KU、隊長、Mの順に下った。
下りは少しスピードを上げる。
ガスはますます深まりホワイトアウト気味になってくる。
気象観測計の設置箇所でKO、Uさんを待つことにした。
30分ぐらいするとUさんだけ下りてきたので、ギョッーとしたが、KOさんもそこまで来ているとのことで安心した。
KOさんが水を飲みたいというのでテルモスを渡した。蓋を落として転がっていってしまったが、隊長が取りに行った。
ここからKOさん、Uさんを加え6人でアンザイレンする。
M、KO、U、隊長、KU、私の順。
UさんはKOさんをサポートしながら下り、私はKUさんの滑落を止める役割を隊長から言われる。
視界は10mぐらいになり、先頭のMさんがフラッグを探しながら下りる。
左側は崖になっている。
2時ごろからさらに暗くなり、足元の凹凸もぼやけてきた。
デナリパスへの急傾斜の下りはそろそろ危なくなってきたと感じたとき、前方の岩場にツエルトをかぶっているパーティがいる。
隊長が近づき話しをする。A隊であった。
A隊はすでにデナリパスを超えて、トラバースに入っていると思っていたが、IさんがHCに眼鏡を忘れたため、雪の凹凸が見えなくなったので早めにビバークに入ったそうだ。
そこからしばらく行ったところで、KOさんも歩けなくなったので、我々もビバークすることにした。午前3時だ。
風が強かったが、このあたりは避けられそうなところはなかった。
岩と岩にロープを張り、そこにツエルトを2つ張った。
ロープを尻に敷き、アイゼンをつけたままビバークにはいる。
ここは標高5600m。今3時30分。
ツエルトはすぐれもので、かぶると風の冷たさもなくなり、ある程度暖かくなる。
両隣はKO、KUさんだ。隊長がレスキューシートを貸してくれたので、KOさんの体に巻く。
KOさんが水を飲みたいと言うので、シャーベット状になって少し残っていた、水筒の氷を掻き出した。
外は吹雪になっているのに、隣のツエルトからいびきが聞こえる。つわものだ。
朝まで行動食とシャーベットの氷を少しずつ食べた。そのうち氷と行動食がほとんどなくなった。
足だけが冷たかったので時々足を動かした。

6月30日(土)曇のち晴 デナリパスの上5600m→HC 5250m 6:00~10:30歩行4時間半
6時前に少し明るさがもどってきた。
A隊のHさんがいつ出発するか聞きに来た。出発の準備を開始する。
ツエルトは半分雪に埋もれていた。全員が動きだしたので安心する。
昨日と同じ役割と順番で出発した。
昨日降った膝ぐらいまでの雪をラッセルしながらの行進だ。
デナリパスを越え、長いトラバースにはいる。
右下の急傾斜がガスでみえないので、ときどき平面を歩いていると、錯覚に陥る。
UさんはKOさんをかばいながら、肩を組んでいる。
KOさんも頑張って自力で歩いている。
私はKUさんが転倒するたびにピッケルを使い、ロープに制動をかける。
途中からA隊も加わり、ラッセルをする。
やはり人数は多い方が楽だ。
喉がカラカラなので気休めに、時々雪を口に入れながら歩く。
そろそろトラバースが終わる10時ごろ、HCから上がってくる人が見えた。
迎えに来てくれた人は同じテント内に医者が居ると行っていた。
我々が見えたので迎えに来てくれたのだろうか?
我々全員に持ってきたテルモスの湯を飲ませてくれ、KOさんと肩を組んでおろしてくれた。
ありがとうございます。
HCに着くと隊長から握手され「KUさんのこと、ありがとう」と言われる。
気象観測所から引き返した、TさんYさんが湯を沸かしてくれて、浴びせるほど飲ませてくれた。
医師がMCから上がってきており、すぐにKOさんを見てくれた。
風邪ぎみなのと疲れで、高山病になったのだろう、心配するほどでないとのことで安心する。
医師は頻繁にテントを訪ねてくれた。
KOさんはシュラフにもぐり、持ってきてくれた酸素を吸っている。
午後3時になると、レンジャーと医師が訓練を兼ねてKOさんをワイヤーでMCまでおろしたいがどうか?と隊長に打診にくる。
隊長は即OKする。(2年前にMCからHCまでワイヤーで繋げたようだ)
1時間後に完全装備したKOさんがシュラフだけ持ってワイヤーのつってある所にいく。
関係者以外は近づかないようにと御触れがでていた。
以下隊長から聞いた話。
KOさんはMCに降りる前にキジをうちたいといったら、医師がついてきてキジの写真まで取られたそうだ。
ワイヤーにつるときは大きいソリのようなものの中で酸素吸入しながら横になる。
2人が付き添っている。
ソリにはもう1つのワイヤーが付いており、MCに着いたら、HCでこれを引いてソリをもどす。
午後5時から7時にかけて下ろす作業は終了したようだ。
ワイヤーでおろした処置は適切であった。
次の日私たちがMCに下りたときは天気が荒れたので、KOさんが歩くのは無理だったと思われる。
MCまでいけばレンジャーの丈夫なテントと食料が待っている。
残った我々の食材は明日の昼食分までしか残っていない。夕食はおかゆとスープを4人で分けた。
午後7時過ぎに召集がかかった。
先ほどMCに下ろしたソリを引っ張り、HCに戻すためだ。
10人でワイヤーを一斉に掴み、ワイヤーを引きながら10m走り、同時にそのワイヤーを大きなドラムに巻く。
10人は最初の位置にもどり、これを繰り返す。
ここ標高5200mでは3回ぐらい繰り返すと、息が苦しくなり続けられなくなるので替わってもらう。
ワイヤーの長さは1000m以上ある。
体のがっしりした外人は交代しないで引いている人がいる。

7月1日(日)風雪 気温-6.5℃ HC 5250m→MC 4330m 20:00~1:00 歩行5時間
今日はMCまで下りる予定である。
しかし昨夜から強風と雪が降っており、ガスもかかっている。9時になっても状況は同じなので様子をみる。
昨日は午前曇り、午後晴れたので、同じパターンになってほしいと期待する。
朝食は2種類のスープと3人分のおかゆを4人で分ける。昼食も同じようなものだ。
これでHCでの食料はなくなった。
Iさんから行動食のビーフジャーキーの提供があった。ありがたい。
私の行動食はもうMCに下りる分しか残っていない。しかもこの分はMCで下山予定パーティから貰ったものだ。
ここで食料がないまま停滞するより、今日中にMCに下りたい。MCには食料が十分デポしてある。
午後6時30分ごろ、風が少し弱まったところで、撤収を開始した。
最後に各々自分の凍ったキジをリックにいれた。
20時に出発する。その5分前から急速に寒くなった。
いつも山に日がかげる時間だが、ガスがかかっていても影響があるようだ。
あわててオーバシューズをつけ、ミトンを追加し、目出帽を1枚増やす。
アラスカ隊、A隊(S、I、Hの順)、隊長隊(私、KU、U、隊長の順)の順に出発した。
風はこのころからまた強くなってきて、空が鳴るようになる。
ルートは2往復目なので、分かっているが風雪が強いのでナイフリッジは手ごわい。
KUさんは私がナイフリッジを渡っているときに、風が強いから渡れないと、急に止まってしまうので、私は後ろに引かれることになり、ナイフリッジ上で倒れ、咄嗟に滑落停止の姿勢をとる。
これが2、3回あった。Uさんが後ろから「止まるな!」と大声で言ってくれるが命がかかっているのでこちらも真剣だ。
前を行くA隊もナイフリッジ上でまたがってしまった隊員がいて、隊長に大声でしかられている。
時間が経つと前のパーティと距離が開いてしまったので、ルートファイディングの必要も出てくる。
リッジが終わり、フィックスロープに移る箇所にきたとき、これで助かったと思った。
フィックスロープへ移る急傾斜の下りに柔らかい雪がつき微妙になっていたが、アラスカ隊のTさんが待っていてくれて誘導してくれた。
フィックロープの下りはユマールは使わず、カラビナ通しをセットし、片手にフィックスロープをつかみ、その手に全体重をかけ、手袋とロープの摩擦で下りる。
だからある程度スピードが出たほうが歩きやすい。
ところがKUさんにゆっくり歩いてくれと何度も言われ、最後には上るペースより遅くなったので、体重を支えている腕が片方では耐え切れず、両手を使うことになってしまった。
KUさんは時々転び、Uさんにとめて貰う。
フィックロープが終わったところから、テラスまでの左下がりトラバースが雪が積もって大変微妙になっていた。
右手でピッケルを打ち込み、左手の拳骨で上から雪をおさえる。
両足のアイゼンは柔らかい雪の下の硬い雪に確実に食い込ませて、四つんばいになって4本を順繰りに出して少しずつ下る。
アンザイレンした人が順にトラバースに移ってくる。
ここで誰か1人が滑るとアンザイレンしている3人が巻き込まれる。
そしてとめられない。下にはクレバスがある。緊張が続く。
トラバースが終わり、しばらく下ると傾斜もゆるみ、アンザイレンを解き、個別に下ることになった。
ロープをはずしていると、隊長から握手され「トップをやってくれてありがとう」といわれる。
Uさんと一緒に下る。膝まで雪があるので歩きにくい。
MCに近づくと誰かがこちらを向き、MCと我々の間にポツンと1人で立っている。
我々が近づくと歩き始めたが前後左右にユラユラと揺れているように歩いている。
A隊のIさんだった。相当参っているようだった。
テント場に近づいたとき一瞬空に大きなものが舞い上がったように思えた。
錯覚か?。後で分かったがA隊がテントを張っているときに、テントを風に巻き上げられてしまったのだ。
アラスカ隊のテントは既に張り終えていた。
私がテント場でIさんを待っていると、レンジャーが1人近づいてきて、レンジャーのテントに入れと連れて行かれた。
皆集まっていた。後からIさん、KUさん、隊長も着いた。
全員そろった。強風の中よく無事でここまで来れた。
我々はレンジャーに保護されたのだ。レンジャーから飲みものと食料が提供された。本当にありがたい。たくさん食べる。
ここでKUさんとIさんが手に凍傷を負っていることが分かった。
レンジャーはいろいろなことを話してくれた。
4日前我々がビバークしたところで、ホワイトアウトのため道を踏み外し転落し、日本人の30代の女性が死亡した。
あそこでビバークに決めたことはよかったと云う。
現在の風速は時速60km(秒速約17m)である。よくここまでたどり着いたと・・。
KOさんはソリで運ばれてきて、風邪気味のところ疲労が重なり肺水腫と診断され、明日ヘリで下まで下ろす。
今は元気をとりもどし、横になっていると説明された。
下の方は雪が解けてきたので夜の行動の方が安全だという。
午前1時に収容され、風がほぼなくなった4時にお礼を言って外に出た。
A隊はテントを借りて張った。
すでに山の頂上は日があたっていた。

7月2日(月)風雪のち晴 MC 4330mからLP 4330mに向かって下山開始 23:00~
11時にヘリがきて、KOさんを運んでいった。
帰国後にKOさんから聞いた話ではヘリでタルキートナーまで行って、そこに6人乗りのジェット機が待っており、アンカレッジの飛行場まで飛んだ。
飛行場の脇に病院があり、ジェット機が行くと門が自動で開き、そのまま病院の脇についた。
ストレッチャーに乗せられ病室に入った。
検査が終わるとその日に退院したとのこと。すぐに下山したことが良かったようである。
12時まで雪で埋まった食堂を補強し、食事をとる。
少しのお神酒・ウィスキーと隊長が干していた魚で無事だったことをお祝いする。
午後4時から7時まで寝る。
レンジャーの指摘した安全と明日LPまで下りセスナに乗るために、今夜中に出発し、LPを目指すことになった。
夕食はうまいカレーを3杯も食べて、これからの長丁場の準備をした。
共同装備の配分については、隊長はLPから今までのその人の実績・経験をみて、荷物の量を配分していた。
人によって大分量が異なる。
午後11時に出発した。上りに3日間かけたところを1日で下りる予定である。
C3まではアンザイレン(私、I、U、隊長の順)し、オーバシューズもつける。
Uさん、隊長はソリも引く。

7月3日(火)曇 LP 4330mに下山、セスナ飛ばず 2日23:00~3日14:00 歩行14時間
夕焼けが午前1時から2時ごろまで続く。そして午前3時から朝焼けが始まった。
どちらも空が真っ赤になる。赤くなる空の位置が異なるので、両者が違うものとわかる。
ウィンディコーナーでは風が吹いてなかった。
C3では早く着いたアラスカ隊がデポ品を掘り出してくれた。
ここC3からLPまではアンザイレンをせずに、ソリをひきながら個別にスキーですべり、途中C1で全員集合することになった。
スキーは100m下の傾斜がゆるくなったところでつけた。
出発は私とIさんが最後になってしまった。
前を見てももう隊員が滑っている姿は見えない。
Iさんはスキーを嫌がっていたので、私なりに滑り出した。
大きなリュックを背負い、ソリをひっぱりながら、スキーで滑るのはなかなか難しい。
ゆっくりすべるとソリの方が早くて、ソリにひっぱられ転倒してしまう。
斜めにすべると、ソリと交差してしまい、身体を傷つけられる。
一番いいのはソリよりやや早く滑るのがいい。
日は隠れているので、雪は硬く、アイスバーンになっている箇所が多い。
足元には雲が地上10cmの間に浮かんでおり、滑ると雲が足もとを流れているように見える。
いくつもの大きな凹凸を越える。
時々休んで後ろをみるが、Iさんの姿はみえない。
滑り方は最初にシュテムそしてボーゲン、足首が疲れてくるとそれもできず、最後は横滑りがメインとなった。
数え切れないほど転んだ。
C1に近づくとKUさんに追いつく。
KUさんはスキーシールをつけて、上りの時も下りの時も歩いている。
Hさんにも追いつく。
前方に大きなクレバスが出現した。フラッグがたっていて導いてくれたが、ここで一人で落ちたら誰もわからないだろうと、恐ろしい思いをした。
急な下りの先はC1だ。
近づくと皆が待っていた。HさんKUさんも着く。
30分ぐらい待ってもIさんの姿がみえない。皆心配する。
そのうち丘の上で小さく動くものが見え、Iさんとわかる。
隊長とUさんが待つことになり、他の隊員はLPに向けて出発する。
C1からLPまでは傾斜は緩やかだが、クレバスが非常に多い。また雪が腐ってきてグズグズになっている。
ヒドンクレバスも多く、ストックをつくとズブッと雪が抜けて下まで突き抜けてしまうことがたびたびあった。
坂を下るときで転倒せざるを得ないときは、クレバスをよけて転ぶ場所を、すべる前から決めてから滑り出す。
1つだけ80cmも開いているクレバスがあり、渡るのに数分考えてしまった。
意を決しスキーで越えたあと、すぐさまソリを勢いよくひっぱる。
ソリが落ちてこちらが引っ張りこまれたらたまらない。
LPへは、最後に標高にして200m上らなければならない。ここがきつかった。
午後2時30分LPに到着した。
アラスカ隊は最初に着き、テントを張ってくれる。
動きを止めると途端に寒くなりダウンをきて、テントにはいり、皆の到着を待つ。
Tさんがセスナ搭乗の申し込みをしたが、全員そろわないと受付しないという。
セスナを待っているパーティは我々だけである。
セスナの係員の常駐も7月7日までだという。
1時間後に全員到着した。
セスナ搭乗の申しこみをした後、デポしてあったビールで乾杯した。
セスナが飛び立つのは60m上の高さ(標高2200m)からだというので、荷物とともに移動する。
こんなに疲れていても重い荷物を運ぶTさんの馬力には感心する。
午後7時まで待ったがタルキートナーが雨で飛び立てないという。
今日はここでテントを張り寝た。

7月4日(水)晴 セスナ飛ばず
LPは晴れだが、タルキートナーは曇りらしい。朝7時から待ったがセスナは来ない。
1日中待ったがついに来なかった。
帰国予定の明日5日のアンカレッジ発14時15分の飛行機にはもう間に合わない。
隊長が電話で加藤さんに飛行機の変更をお願いしていた。

7月5日(木)曇 LP→タルキートナー→アンカレッジ
10時の朝食時に隊長が「過去に餅を焼いているときセスナが来たときがある」と話をし、実際餅を焼き出しコーヒーを飲んでいると、突然セスナの音がし着陸した。
大きいのが1機、少し遅れて小さいのが1機。
食べるのを止めて、大急ぎでテントをたたみ、荷物をまとめる。
曇ってきたら飛べないから早く!、とパイロットが言う。
荷物、ゴミ、スキーをセスナに運ぶ。
そして離陸する。やっともどれる。
途中から雲が発生し、雲の下を低空飛行しながら、氷河沿いに進む。
パイロットは無線で基地から「by hundred」といわれている。高度100m以内で飛べということか。
やっとのことでタルキートナー上空まで着き、ショックもなく着陸した。
腕のよいパイロットであった。お礼を言って荷物を運び出す。
チェックアウトのためレンジャーステーションに入る。
一通りの報告をして、テントを借りたことのお礼を述べた。
隊長は18年間ウェザーステーションを守ったことの表彰を受けた。
またKUさんは76歳の最高齢でのマッキンリー登頂者になったと確認した。
昼食は名物バーである「ウエストリブ」に行き、ビールでお祝いした。皆おおいに飲んだ。
ここでアラスカ隊はフェアバンクスに帰宅するので、名残惜しいがお互いの健闘をたたえ分かれた。
日本帰国組は隊長のチャーターしたバスでアンカレッジへ向かう。
民宿のご主人加藤さん、奥さん、息子さんに会い、そして民宿の窓から見える入り江をみて、山から帰ってきたことを実感した。
加藤さんが変更をしてくれた帰国便は、予定より5日遅れの10日発の便だった。

7月6日(金)晴 個人装備整理
隊長は予定どおり午前5時に民宿を出て帰国した。
UさんSさん私で見送る。
帰国したら冠婚葬祭があるらしい。
KOさんもお母さんがなくなったので、予定どおり5日に帰国していた。
残った隊員は晴れたので装備を干した。

7月7日(土)晴 アンカレッジ→スワード サーモン釣
アンカレッジの南約200kmのスワードにサーモンをつりに行くことにした。
食料を買いだし、加藤さんの車で出発し、2時間30分で着いた。
海岸にテントを張り、場所代の2張り8ドルをテント脇に設置されている、ポストに投入した。
サーモンの釣代は1権利30ドルなので2権利分支払い、午後3時から海岸で交代で釣った。しかし収穫はなかった。
加藤さんが近くにサーモンをさばく場所があるので、さばいたあとのものを貰い受けてくれた。
こちらの人はサーモンを3枚におろしても、肉部分のみしか食べない。
またさばきかたがおおざっぱなので骨にはまだ厚い肉がついている。
それを刺身と味噌汁にし、買かい出した厚い肉を焼いて夕食をとった。

7月8日(日)晴 スワード→アンカレッジ
Sさんが近くでサーモンを釣ってきた。
私は海岸沿いの上空で、数十羽のカモメとワシの争いを見ながら散歩した。
午後加藤さんが迎えにきてくれて、アリエスカ・スキー場ホテル経由でアンカレッジに帰る。

7月9日(月)晴 共同装備整理
午前中は加藤宅にデポする共同装備を整理した。
午後は加藤さんの車で最後の買い物。
夕食は皆でステーキを食べに行った。
加藤さんには5日間帰国が延びたので、その間は発生した費用は帰国後に一括支払いにしてもらった。

7月10日(火)晴 アンカレッジ→バンクーバ
民宿で最後の朝食をとり、11時に空港へ送ってもらう。
エアーカナダ便14時15分発でバンクーバへ、18時30分に着きホテルに泊まる。
夕食はタクシーで近くの中国料理屋に行く。

7月11日(水)~12日(木)晴 バンクーバ→成田
バンクーバ発13時30分のエアーカナダ便で発って、なんのトラブルもなく成田に15時に着く。
隊長が迎えに来てくれていた。

9.お わ り に

5600mでビバークしたのに無事帰って来られたのは、ツエルト、上下のダウン、ミトン、高所帽、オーバシューズと隊長のおかげであった。
隊長は隊員と区別なく、食当を担当し、重い荷物を運び、休養日の食事作りを率先してやってくれた。キャンプサイトで恒例になっている、魚干しやその魚を食べるとき、皆でジャンケンをして食べる魚を決めたりして、我々の心を和ませてくれた。ありがとうございました。
マッキンリー登頂の隊員になるには例外なく冬山技術と基礎体力をしっかり習得している必要があると痛感した。全員アンザイレンし、お互いに命を託するのだから。全員登頂を狙ったが、これもその前提があってのことであると思った。
3週間と長い登山期間中、食事は自分たちで調理する。やらないと登れない。メンバーで分担するのだが、急に楽しくやろうとしてもできるものでない。日常生活や会の山行で慣れておく必要がある。隊長をはじめ、隊員の半数以上は既にその技量が身についていた。
HCでの食事はすべておかゆだったが、おかゆだと力が出ないので、やはりご飯の方が良いと思った。
登山している間アラスカにいることを意識したのは、規模の大きい氷河と周りの真っ白い山と地図であった。地図と現地をあわせるのに、東偏が24度なのだ。地図で確認するたびにアラスカにいると思った。
体調が回復した直後の登山であったので、不安もあり緊張もしたが、氷河上を歩き始めると不安や緊張もとれ、いつもの山行と同じ状態になった。そして登山期間中、食欲がなくなることはなかった。アラスカ隊員と同じくいつもおかわりをしていた。帰国後の体重は3~5kg減った人が多い中、私はいつもの山行と同じく2~3kg増えた。長い山行で胃が大きくなってしまい、元にもどすのに時間がかかった。
数週間後にデナリナショナルパークのレンジャーから隊長に送られてきたニュースレターによると、今シーズンの登頂率は1202人がアタックし573人が登頂したので 48%であった。またKUさんの76歳最年長での登頂記録更新もニュースとして取り上げられた。

◇ お ま け

アラスカ大學極地圏研究センターのHPに我々の山行が掲載されています

アラスカ大学フェアバンクス校 国際北極圏研究センター Mt.Mckinly Weather Station

S . F 記


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