キリマンジャロの雪 3

 

2008年2月

キリマンジャロ登山の帰り道、タンザニアとケニアの国境を越えるとナマンガの町に入る。すぐに右折して街並みが終わるとサバンナの道。
ナマンガ・ゲートにて入園料を払って進む。乾季には干上がっているアンセボリ湖を右側に見てやがて「オルトカイ・ロッジ」に着く。
ここ「アンセボリ国立公園」は、ヘミングウエイがハンティングを楽しんで小説を書いた所であり、朝夕はキリマンジャロ山がよく見えるサハリである。
国立公園としての面積は小さいが、乾季でも湿地が残っているので動物たちが定着しているらしい。とは言え、地球温暖化の影響を受けており、砂漠化が進んできてサハリ中に竜巻が上がっている光景を目にした。
動物の種類は多く、ライオン・チーター・シマウマ・ヌー・トムソンガゼル・バファロー・インパラ・カバ・キリン・ハイエナ・イボイノシシ等などを見た。特にゾウが多いようだ。
サハリは動物たちが行動している早朝と夕方の2回サハリカーに乗って2時間ほど公園内を周回する。
我々が泊まった「オルトカイ・ロッジ」のオープンテラスからは、ランチをしながら近くにはシマウマとヌーが草を食み、少し先ではゾウの一家が同じく草を食んでいるのが見える。 景色に見とれているとサバンナモンキーにパンを持って行かれる。マサイの庭番が見張ってくれているのだが、それでも油断はできない。

ナイロビに戻って、キリマンジャロ登山の疲れを癒すと退屈してきた。
ナイロビ在住の日本人の一人から半月ほど車をレンタルすることになった。
ケニアに入国した時、西の方面は大きな暴動があったので危ないと言われていた。しかし、今は安定しているらしいとの情報をもらったので、仲間の一人が以前に行ったことが有ると言うので、ガイドを雇わずに日帰りで「ナクル湖国立公園」へサハリに行くことになった。
この国立公園はフラミンゴの群棲で有名です。

ナイロビからウガンダへ向かう街道を行く。
途中で道路工事が大々的に行われており迂回路に回された。パサパサに乾いた洗濯板のような仮設道路が30分ほど続く。トラックの後に着いてしまうと砂ぼこりで10m先が見えない。
大地溝帯を見下ろす峠を越えると「ナイバシャ湖」が見えてくる。そこを過ぎると「エレメンティタ湖」、そして道は平原となりナクルの町となる。
ナクルの町に入ってから道に迷い、何度か道を聞くが暴動が有った緊迫感は無い。
ようやくメインゲートに辿りついた。例によって入園料を払ってから中へ進と 間もなく湖畔の広場に出る。
そこにはかぞえられない程の「フラミンゴ」と「ペリカン」が居た。
周りに危ない動物が居なかったので、車から降りて写真を撮る。
一定の距離以内に近づくと、それまで我々を無視しているような群衆が一斉に動き出して距離をあける。それにしても凄い大群だ!
湖を一周すると草食動物達が多くみら見られた。日中なのでほとんどの動物達がブッシュの陰か灌木の木陰に休んでいる。
一本の木の下にサイの一家が寄り添って寝ていた。どうしたのか、その中に一頭だけ水牛が紛れ込んでいる。
帰りにナクルの町で3時に近い昼食をとったが、レストランの中でも緊張感は無かった。それでも、夜間外出禁止令は出ていたようです。

前期高齢者チームである我々は、出発前の箱根温泉での結団式の折はキリマンジャロ山だけでは満足せずに、ケニア山にも登ろうと意気軒昂でした。
しかし、キリマンジャロ登山に疲れてそんな話は飛んでしまった。
そこで、時間が余っているのでインド洋に行こうと話がまとまった。

ナイロビから2時間30分の空の旅でタンザニアの「ザンジバル島」へ行ける。
タンザニアのビザはキリマンジャロ登山の際に取得しており問題はない。
そして、ザンジバルシティの旧市街地は「ストーン・タウン」と言われて世界遺産に指定されている。(アラブとヨーロッパの影響を受けた石造建築物が連なった町並みが残っている)
その上に、パジェの海岸には日本人オーナーの三浦砂織さんが経営している「パラダイス・ビーチ・ロッジ」がある。
早速 ナイロビでインド人と日本人が経営している旅行社ですべての手配をお願いした。
ナイロビ空港を飛び立った飛行機はやがて、登ってきたばかりのキリマンジャロ山のすぐ横を飛んでインド洋に向かう。
小さな空港に降り立って外に出ると、例にもれずタクシーの呼び込みに遭う。
大体の相場を聞いていたので、値段表を持っていたタクシーをつかまえて出発。
赤道直下の島である。アフリカ本土ではあまり見かけなかったヤシの林が続く。
パジェの海岸は空港とは島の反対側になるので、タクシーで1時間以上かかった。インド洋に面したビーチに植物の葉で葺かれた屋根のコテージが並ぶ「パラダイス・ビーチ・バンガローズ」に到着。
生憎とオーナーの三浦さんはお母様の看病のために日本へ帰って留守でした。 とにかく青いインド洋と白い砂浜、そして椰子の林。コテージの中まで波の音が聞こえてくる。
引き潮の時は遠浅の海岸を散歩して、あとはバンガローに置いてあった古い週刊誌とビールで終日を過ごした。
ストーンタウンへは、帰る日の半日をあてて見学に行った。
確かに石造りの街並みが入り組んで出来ている。
ガイドブックを片手に歩くのであるが迷ってしまう。
かっての奴隷・象牙・金などの中継地として栄えた面影は残っている。
強烈な太陽の下を歩き回ったので、全員がダウン寸前でレストランに入った。
そこは欧米人が沢山いたのでソコソコの店に当たった様だ。
ビールと食事を頼む。
ビールは出てきたが食事が出てこない。アフリカタイムであることは覚悟していたが30分過ぎても出てこない。ついに、タクシーを呼んである時間に近づいてきた。我慢できずに乏しい英語力で催促するが一向に急ぐ気配はない。
まあ、なんとか食事にありついて空港へ。
空港での出国手続きも大変。一人ずつのパスポートをもって奥の部屋へ引っ込んでしまうのでなかなか進まない。機内預けの荷物もカウンターで預けるが、そのまま自動的に機内へ運ばれるのではなく、イミグレーションを通った中のロビーに放り出されている。それぞれがそれを持って検査台へ運ぶ。そこで漸く飛行機に預ける事ができた。
後で気がついたが、ザックに付けていた偽物のカラビナは無くなっていました。

K . I 記


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