参加者: 6名

6月の越後駒ヶ岳山行以降、土日なかなか時間が取れず、久しぶりの参加となった。
『剱岳』。私には遠い憧れの存在であった。なぜならば山岳会の活動に併せ、百名山全制覇を趣味としている私にとり『剱岳』は「百名山の雄」で、昔『いつかはクラウン』という言い方があったが、『いつかは剱岳』といった具合に、十分な経験を積んだ後、最後に目指す山と位置付けていた存在であったからだ。未だ百名山の半分も制覇していない未熟な私が『剱岳』の頂に立つ事を『剱岳』に、はたまた世間に許してもらえるのだろうか?という自問自答をして、気持ちの整理が出来ないでいる内、遂にこの日がやってきてしまった。

集合場所の武蔵浦和駅で参加メンバーの顔を覗うも、いつもの山行と何ら変わらない感じで、浮足立っている私が異質であった。皆にとっては『剱岳』登山は日常で私にとってだけ超非日常な恐れ多い行為なのだと感じた。車二台に分かれ、夜の高速を走り早朝立山駅(標高475M)に到着。そこから日本で唯一の貨車付ケーブルカーを堪能し美女平(標高997M)へ。バスに乗りかえ途中車窓から称名滝(日本一の落差の滝)を眺めたあたりで意識を失い富山側からのアルペンルートの全容がわからぬまま気づいたら室堂(標高2450M)に到着。
室堂から雷鳥沢(標高2405M)へ。途中一般観光客や一般登山客が我々一団の大きいザックに目を丸くする。やはり三日の行程となると、無駄な荷物をそぎ落としても一人当たり15~25キロ程度を背負わないと物資が不足する。雲一つない真っ青な空と森林限界を超えた雄大な山の織り成す緑と白の色彩芸術と硫化水素の臭いを楽しみながら進む。雷鳥沢キャンプ場の先の沢を渡ったあたりで小休止。沢の水で顔を洗う。冷たくて気持ちが良い。ここより剱御前小舎のある別山乗越(標高2750M)を目指す。

途中雷鳥沢を見下ろすとキャンプ場の色とりどりのテントが周りの景色と相まって綺麗。長く続く登りだけの登山道をゆっくり進み別山乗越に到着。左手に憧れの『剱岳』(標高2999M)が神々しい姿を現す。人を寄せ付けない荘厳な山容。尖った岩が急峻な斜面に複雑に重なり合い山体を形成している様で、僅少も穏やかな部分が無く一体どうやって登れば良いのか、どこが登山ルートになっているのか凝視しても全く検討が付かない。威風堂々たる山の横綱である。
一方、後ろの雷鳥沢方向を見ると、右手に大日岳・奥大日岳、左手に浄土山が見える。馬鹿にして申し訳ないが、山の放つオーラはドーベルマンとトイプードルぐらいの違いがある。別山乗越から雄山(標高3003M)を右手に仰ぎ、富山県警山岳警備隊も常駐し診療所もある剱澤小屋が管理する剱澤キャンプ場(標高2524M)に到着。水道、無料トイレともあり、山に囲まれながらも広々とした河原のようなキャンプ場で、下り傾斜の先、剱澤雪渓の谷を挟み『剱岳』の姿が立ちはだかり、劇場のごとく、『剱岳』を鑑賞するのに最適な地形を成している。

テント設置後、食料班が晩餐の準備をしている中、私は剱岳と太陽のコラボショー、山肌を赤く情熱的に燃やすアーベントロートを楽しむ。次第に日が山の端に沈み込み、空気が急に冷え始めテントに入る。面倒くさがり屋の私では到底不可能な手の込んだ山料理の数々。グルメな主婦が多い陵朋会はテントの中でも、一流ホテルのディナーを楽しめるというのは褒め過ぎか。今回のメインはタイカレー。美味し過ぎて残飯処理という名目のもとダイエット中にも関わらず3杯程おかわりしてしまう。至福の残飯処理だ。満点の星空の下、熟睡する。

翌朝暗い内にハーネス等クライミングギアを装着し、いよいよ憧れの剱岳バリエーションルート登攀が始まる。『長次郎谷』。明治時代に政府が国防の要請から日本地図完成を急いでいた。その為、当時前人未踏峰とされていた剱岳の頂上に三角点を設置する事を当時の測量官である柴崎芳太郎に命じた。その案内人が宇治長次郎で、彼が難航不落の剣岳頂上に測量隊を導く為選択したルートにある谷が長次郎谷と名付けられた。それを描いた映画『点の記』を鑑賞したこともありその舞台となったコースに身を置く喜びと一般コースとは違い難所を克服せねばならぬ緊張感が交錯する。剱澤小屋(標高2460M)から暫く下り日本三大雪渓である剱沢雪渓に入りアイゼンを装着し進む。源次郎尾根を左手にしたところで、我が長次郎隊は源治郎隊とエール交換し、互いの無事を祈り別れる。そして「長次郎出合い(標高1980M)」に出逢い、そこを左折し、今回の長次郎隊の核心部である長次郎雪渓(長次郎谷)へ入る。

両側の急峻な岩尾根が、すっきり晴れ渡った空からの暑い日差しを遮り、遠くにはモロゲンロートを望み、快適な雪渓ハイキングでスタート。雪渓両端にはシュルンドがあり、雪渓の下には水が流れている為シュルンドに転落すれば、溺れ死ぬどころか、永遠に死体が発見されない可能性もある。その為雪渓のど真ん中を突き進む。中間地点の熊の岩(標高2500M付近)までは、眼前を頂上付近まで真っ直ぐに伸びる見通しの良い広大な雪渓と左には勇壮な源次郎尾根、右には巨大な岩稜八ツ峰を眺めながら北アルプスの誇る壮大な自然の造形美を味わう。熊の岩の裏側にある長次郎雪渓ルート上唯一の平坦地にて大休止。ここから太陽が顔を出す。以降急斜面になる為、ピッケル使用と緊張を持続し登るようにとのリーダーの指示。不安がよぎる。熊の岩が右俣と左俣ルートの分岐点となっており、我長次郎隊は左股ルートに進む。

40度程の急傾斜の雪面を進むに従い万が一足を滑らせ転倒したら谷の底まで滑落するか、途中、岩に激突して美しい雪渓が赤く染まるのは間違いないと実感し、不安が増してくる。一度不用意にステップした足が5センチほど滑る。死が隣にいる。不安が頂点に達した。それ以降、一歩一歩、歩くというより脚を道具にして斜面に刺して行くといった意識に否応なしにさせられ、不安を超えた恐怖心が全身の細胞を凍らして行く。正確に指示通り作動して欲しい脚が小刻みに震えて思うように道具として機能してくれない。何とか動揺を抑え、以前先輩から教えて頂いた急斜面の雪上登攀のリズムを多少大げさに試してみる。その方法は、ワンでピッケルを刺し、ツーで左足ステップ、スリーで右足ステップ、これをワン・ツー・スリー・ワン・ツー・スリー・123123123・・・と繰り返すと体重移動がしっかり出来て滑らないというものだ。

私の今回の雪中行軍の並び順が前から2番目であることから、リーダーからの指示で全体の為に落石監視しながら登れとの事。雪渓上では落石があっても音がしないため目視するしか防ぐ方法は無い。常時山側に目線を置くのはステップが疎かになる恐れがあり、かといって全くステップに集中し下を向いてばかりいるのも、自分だけでなくチーム全体を危うくすることになる。歴史ある山岳会の一員として責任ある行動をとらないと恥ずかしいとの自覚から、フォーで落石監視をしようという作戦を試みる。が、未だ123のリズムさえも意識をしないと狂う時があり、それに4を入れることにより、時折12324とか13242とか大いにリズムが狂うとともにステップの踏む込みが不十分となる事があり、ズルッ、ヒヤッ。頭で考える事を即体で表現する事の何と難しきかな。苦しみながらも次第に慣れて行き、終いには先頭のリーダーを見る余裕が出てきた。ピッケルの持ち手を左に進むときは右手に、右に進むときは左手に持ち替えている事を発見した。何でも真似する事により発展する。中国や韓国を見れば明白だ。戦後の日本も。真似してみる。その途端、また時折12324とか13242のリズムになってしまったりする。やはりピッケルを持ち替えるのは今回はやめておこう。Fリーダーのようなスムーズなピッケル、ステップワークが無意識に出来るようになるには経験が必要だと実感。

雪渓も終盤に差し掛かってきたところでクレバスが口を開けている。お絵かきに使うクレパスと言葉は似ているがクレバスの方は恐ろしい。 シュルンドと同じく、落ちて雪渓の下に吸い込まれると、嫌というほど冷水を飲まされながら真っ暗な中溺れ死ぬか、一時的に助かっても救助が難しく低体温症でいずれ死を迎えねばならない。運良くクレバスの下に雪渓が繋がっているところに下降し、Fリーダーが山側の10メートルぐらいあろうか垂直の雪壁を登る準備に入る。そのとき2人のパーティーが下りてくる。確保なしで下降しようとしているのを皆で見守る。Fリーダーが二人にアドバイスを贈る。雪渓と右側の岩場の境目で右手を雪渓につき、左手を岩につき足も使いバランスを取りながらゆっくり下降してくる。一人目が一瞬足を滑らす。滑落かと思った瞬間に何とか立て直し事なきを得る。見ていて心臓に悪い。2人目も下降を始める。上手くバランスをとりスムーズに下降して感心した瞬間に滑落し体を真っ直ぐ上向きにして急降下してくる。雪渓の下に吸い込まれると思ったが、何とか足で速度を落とし最後尻もちを着いたもののクレバスの地下水路入口直前で幸運にも停止。本当に命がけである。これがアルパインというものか。アドベンチャー映画を見ている気分になった。が、眼前に繰り広げられた出来事は紛れもない現実である。しかも、次は下りと登りの違いは有るが我々の番である。

ロープを取り出す。Fリーダーから取り付き点でのビレイ準備の指示を受ける。一体どうやれば良いのか頭のどの引き出しを開けても見つからない。過去に経験したことが無いか、完全に忘却している。ワナワナしていると、Fリーダーからお叱りが。他の隊員もわからない様で安心している場合ではないが安心する。そこに熟練会員M.Yが見ていられないと一瞬の内にロープを手に取りビレイ準備を完了させた。流石である。 感心する暇もない内にFリーダーが、雪壁上部でのビレイ準備の為垂直の壁を登り始めた。足を垂直の壁に打ち込み足場を踏み固め、ダブルアックスで手際よく上昇する。見えなくなったところからリーダーは残りのロープの長さを大声で確認し更に登る。

上部でのビレイの準備が整ったところで、弱腰の私が先頭を切る。ロープからハーネスのカラビナにプルージックで連結。まずプルージックの効きを確かめる。濡れているせいか完全には止まらない。結び方には自信があった。巻き数が足りなかったのか。焦る。外野の応援もたたり余計に焦る。自分のプルージックシステムに信頼が持てず、不安なまま登り始めた。まずピッケルを打ち込み左足をけりこみ、静かに体を持ち上げる。雪が腐り気味で足場が崩れる。リーダーのトレースをたどろうとするが、バランスをとるための、歩幅と体重に違いがあるせいか、うまく足場が作れない。穴を作り踏み固めようとするがことごとく崩れる。その為、トレースを全く無視して、一手、一歩自分の体感で慎重に登る。結果、リーダーのトレースを崩したことで後から批難を浴びることになるが、申し訳ないが登っている本人は実力不足で、後から登る人の事など全く考える余裕が無い。初心者の為ご容赦願いたい。

3点確保が基本なところ左手のかかりが無く2点確保になってしまっている。ピックを打ち込んだピッケルにどの位体重を預ける事が可能か、足場もどのぐらいの重量がかかると崩れてしまうかわからない。この辺りは経験が必要だ。ピッケルのブレードを持つ右手と反対の手で穴を掘り左手のホールドを作る。防水手袋ではないので、冷水が浸みてきて手が凍りつく。ビレイされているものの、Fリーダーが岩や木などの支点が取れないところでスタンディングアックスビレイの手法をとっていると思い込んでいたため、体重のある私が滑ったら雪の中からピッケルが引っ張り出されビレーヤーを巻き込みながら仲良く落ちていくイメージばかり頭に浮かびあがり、必死である。それでも次第に打ち込んだピッケルの支点としての信頼が出来てきて最後には震えが収まってきた。

Fリーダーを見るとサイドの垂直の雪面にピッケルを打ち込みセルフビレイをした上で、手でロープを握る方法で後続のビレイをしている。登攀時、ロープを頼る事は、Fリーダーの腕の力と体重に全て頼る事に気付く。幸いなことに一度も落ちることなく、ロープに荷重せず登り終えたつもりになって安堵したが、後から聞くと、相当、Fリーダーに荷重がかかっていたようである。おそらくプルージックの結び目を最大限上にずらした瞬間に体重がかかっていたのかもしれない。更に後続は、支えきれないほどの荷重がFリーダーに何度もかかり、限界に近いところで支えている。後続も雪の冷たさで手の感覚が無くなりつつあり弱気になるも、Fリーダーの怒号活入れで最後の力を振り絞る事が出来、何とか完登。残り3人の時点で、Fリーダーから私にビレイを交代する指示がくる。

初めての雪上ロープワーク本番である。滑った場合の3人の命は私に懸っている。斜面に腰掛け摩擦を増やしたうえで、荷重がかかった時より踏ん張れるように足を前に伸ばし、ロープを腰に回し両手でしっかりつかむ(シッティングビレイ)。私よりかなり体重が軽いはずの後続であったが、思ったよりロープに引っ張られる。最後に残った1人に対しては、ロープを引き揚げ緩まないようにしてビレイする。かなりの速さで登ってきた為、ロープが弛まないように手繰り寄せるのが時折追いつかない。それでも、最後まで緊張を持続し引き揚げを完了することができた。しかし残念ながら未だ終わりではない。雪渓終了点の長次郎のコルまであと30分急斜面を登り続けなければならない。雪面が日差しを浴び雪質が軟化し、滑りやすくなる。クレバスを克服し達成感に浸っている場合では無い。クレバスで体力をかなり消耗したためクレバス通過後は足の働きが悪くバランスを崩しやすい。

更に緊張を保ち何とか長次郎のコルに到着。皆の顔が緩む。そこから頂上まで急峻な岩場が続き、程よいステップが無く、股が裂けそうになる箇所、切れ落ちた崖を背に岩を抱きかかえながら回り込む箇所、ザレ場で足を滑らすとやりたくもないスカイダイビングを強いられることになる箇所等切り抜けながら遂に頂上(標高2999M)に到着。新人が途中で頂上到着と勘違いし嬉し泣きをしたため、つられてウルッとしてしまい、多少調子が狂ったものの、憧れの『剱岳』初登頂で再度目頭が熱くなる。世界を支配した気分だ。世界が自分中心に周っている。驕り高ぶる心を抑え記念写真を撮り、栄養をチャージ。源次郎隊の状況把握の為トランシーバーで何度も呼びかけるも電波が届かない為か返答無し。ずっと頂上で喜びを噛み締めながら配下に置いた山々を眺め続けたかったが、Fリーダーから出発の掛け声。無い後ろ髪をひかれながら頂上を後にする。

下りは緊張が緩むため事故が多いとの事だが、剱岳は下りも急峻なため気を緩めようがない。カニの縦這い・カニの横這いが有名だが、タテバイは登りルートに有り、一般コースとは逆側からの登攀であった為に経験できず残念。セルフビレイのカラビナを鎖にかけヨコバイに取り付く。一歩目が分かりにくいとの事、先行の先導のもと足を置いたが、どこが分かりにくいのか分かりにくいまま難なく通過。垂直のハシゴあり、垂直に近い鎖場有り、右側が切れ落ちた細い道有り。危険個所は多く有るものの、急な雪渓・クレバス登攀に比べれば震える事は全くない。トイレがある平蔵のコル、前剱の門、前剱(標高2813M)、一服剱(標高2618M)を慎重に通過。剣山荘(標高2475M)に到着した時点では、隊員の緊張もとれ、皆自分へのご褒美として清涼飲料水を購入した。剱澤キャンプ場で汲んだ1.5リットルの天然水は底をつき、喉がカラカラであったが、1本500円もする清涼飲料水をケチな私は購入する勇気がなく、1口だけ頂く名目で3口分他人のものを頂いた。天にも昇る美味しさだった。その後剱澤キャンプ場(標高2524M)に帰還。

食料班は晩餐の支度をし、残りのものは各自の整理を行いながら、源次郎隊の帰還を待つ。そこへ連絡が来る。剣山荘で1人疲れから動けなくなる。Fリーダーがサポートに向かう。長い時間源次郎隊の帰還を待つ。源次郎隊の姿が剱澤小屋の脇から見えると長次郎隊全員でお迎えに出る。皆無事で良かった。早速晩餐。6~7人用テントに11人入り狭く谷川岳雪洞訓練を思い出す。酒も入り皆は肩を並べ我を忘れ大いに盛り上がる。私は酸欠と熱気と腰痛で気分がすぐれなかった事と喫煙の為、テントの外に途中から失礼する。18時半頃から始まった宴会も最高の盛り上がりを見せ、笑い声がテン場に響き渡る。すると突然テントの外より「うるさい!」との他人からのお叱りの声が。一瞬にして、膨らみきった風船が萎む。本日の宴会は終了(20:30頃)し就寝。翌朝2時半に起床、テントをたたみ帰路へ。雷鳥沢からの長い階段に辟易としながらも室堂に着。立山駅に下山し、途中温泉により、3日間の汚れを落としリセット。行きと同じ経路をたどり夜武蔵浦和へ無事到着。皆完全燃焼した模様で、疲れてはいるが晴れやかに家路についた。帰宅後3日経つ今も余韻に浸りながらこの文章を綴っている。

記録 S.E



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