錦秋の裏剣

 

2015年9月19日~21日
錦秋の裏剣(はしご谷乗越経由)

平成27年9月19~21日
参加者 7人

夏合宿にバリエーションからの剣岳を登り、その裏側からもう一つの顔を持つ剣岳を感じてもらう為に計画をした。 その取り付きも玄人が選ぶ、【はしご谷】からのルート。
シルバーウィークということで登山客が多いと思っていたが予想外に3パーティしかいなかった。 やはり真砂沢に行くのは室堂経由なのだろう。 天気は3日間とも晴れ、特に仙人池に行く日は快晴無風と言う好条件になった。
しかし、ルートは登山者が少ないため良く整備はされてなくて、テント泊の重荷には身体に負荷が掛かる。 枝か引っかかりボディブローのように後半効いてくる。
はしご谷乗越から真砂の小屋まで行く途中にある【はしご】は朽ちている物が多く何時足を掛けたときに折れるかもしれないものばかりである。
怪我人が出るまでは整備されないのであろう。それだけに素人向けではないのかも知れない

9/18(金)
夜10時 新宿スバルビル前に7人が揃い一路安曇野インターに向かう。今回は男性3人に女性4人。玄人好みのルートに女性が多い。思ったほど渋滞も無く順調に安曇野インターを通過し信濃大町駅に深夜2時過ぎに到着。次の週に行く八峰キレツトの往復のタクシー予約を済ませ、車は扇沢の無料駐車場に向かう。30分で到着するが既に第1駐車場は満車。200m離れた無料第2駐車場に停められた。仮眠を2時間する

9/19(土)晴れ時々曇り
朝6時30分のトロリーバスに乗り、黒部ダムへ到着。支度をし7時にダムを下降する。下の廊下に行くパーティが入るが時期が早いのか数えるぐらいである。我がパーティは女性陣の食料含めた荷が重く感じる。男性陣も共同装備を3人で分担するために荷が重く全体に重い。この時は【はしご谷ルート】が数十年前の記憶しかないため全く初めて一緒。年齢も20代の頃。体力も大違い。20分でダム下に降り、黒部川の橋を渡る。いよいよ下廊下に入る。昨年、10月に下の廊下を踏破しており、記憶がまだはっきり残っている。 違うのは紅葉がまだ早いのと登山者が少ないということである。駐車場が満車なのでアルペンルートで室堂に大半が行っているのであろう。下の廊下を1時間30分ほど下り、内蔵の助沢出合いの分岐に到着。ここから【はしご谷乗越】に向かって登りになる。 丸山の東壁を左手に見ながら重荷に耐えながら2時間強の急登を枝に引っかかりながら歩く。

勾配が落ちたと思うと内蔵の助平に到着。沢が流れて喉が潤せる。ここから標高差300㍍の乗越があると思っていたら殆ど勾配のない涸沢を1時間歩く。沢沿いなので意外に歩きづらく、涸沢終了際にSが岩と岩の間に靴が挟まり抜けず、ザックの重荷で転倒。 足首を捻挫する。白根三山の件もあるので全員が怪我を心配する。Nが治療に入る。冷やしテーピングをする。30分治療に専念し様子を見、Sから歩きますとの返事。痛いのを相当我慢しての苦渋の返事と感じた。荷物を分けるわけにも行かず、戻るにも戻れない場所。歩き出して急登が始まり1時間経過、コルに到着。ここが【はしご谷乗越】の標識。眺望は良くない。

左手の登山道をさらに登り小高い山を巻き、下降に入る。Sの怪我の痛みを皆が心配しつつ、あまり遅れることなく先導を努める。はしご谷の名前の謂れである 【はしご】が出始める。『なんじゃ これ』 壊れかかっている。横桟が抜けていたり、壊れていたり、『梯子じゃない』『ロシアンルーレットだ』 誰が壊れて落ちるか時間の問題。 少ない梯子が皆そんな感じ。無事にいくつかの梯子を終えると遠く下のほうにテントが見え、真砂沢の出合いが近いことに安心感が出始める。Sの怪我もどうやら大事に至らないで済みそうな雰囲気に。既に3時を大きく過ぎ予定の4時には着かないが日没までには着きそう。雪渓が出て渡り残り15分ほどでキャンプ地へ午後5時に真砂沢の小屋に到着。テント場一杯である。やはり室堂経由の登山者が多かった。 テント予約をし女性陣4人が暗くなるまでに夕食の準備をしてくれている。手際よく先輩女性が後輩の女性に指導しながら会の食当の手際さを指導してくれるまでに成長してくれた。食事を終えHが脚の痛みを訴え、転んだわけでも無いので恐らく歩行中の捻れであろうとNが再び治療。寝不足と重荷によるので一晩寝れば回復するだろうと冷シップ。 夜は8時前に就寝。

9/20(日)晴れ 無風
朝3時起床 2人の脚の故障具合を確認し、行けるとの回答で7人全員で予定通り、仙人池に向かうことで準備に入る。午前5時アタックザツクに必要な装備を入れ、軽くなった荷に冗談が出る位に明るい。ヘッドランプに照らされながら昨日渡った雪渓を再度戻る。 従来なら二股まで雪渓を下降し夏道の左岸を下りていくがスノーブリッジが悪く右岸を高巻くようにルートが作られている。途中から黒部川に戻り簡易の橋を渡り左岸に出て本来の夏道の一般ルートを歩く。1時間40分程で三の窓雪渓のある二股に到着。国内で見られる氷河の一つ三の窓雪渓が目の前ということで仙人池ルートから少し外れて雪渓沿いの左岸ルートを10分ほど登る。青空に映える急勾配の雪渓が美しい。各々レンズを上部の三の窓と左手に見える裏剣の八峰の岩峰に向ける。荒々しい裏剣に皆が感嘆する。

30分程、日本氷河を見終える元の二股近くまでに戻り、仙人池に向かって登りはじめる。荷が軽いのと寝不足も解消し、2人の脚の痛みも行動には支障が無い。2時間弱の歩行。途中、裏剣の八峰、小窓の雪渓、遅咲きの高山植物 そして紅葉が美しくカメラのファインダーを通して楽しませてくれる。皆が来て良かったと喜ばれる。ルート別に玄人好みで はないが天候や季節が全ての裏剣の景色。ピークハントの目的とは全く対象が違い来れば見られる景色では無い。今回も下山の午後にはガスが掛かってしまった。 午前10時前に仙人池ヒュッテに到着。数えるぐらいの登山者しか居なくて、仙人池前は貸切状態。小屋の主に話を聞くと前日まで天気が悪く、快晴無風の条件は久しぶりということで従業員が写真を撮っているぐらいである。我々は仙人池に映る裏剣の八峰を自分の感性に任せてシャッターを押す。恐らく記憶に残る、写真が撮れたことと思う。

時間があるので、予定になかった池の平小屋まで行きたいとの要望に全員賛同し40分掛けて向かう。池の平小屋は北方稜線縦走で4回ほど通い、1度宿泊したことがある思い出の小屋である。主はボランティアに代わっていたが小屋は変わらずである。 角度の変わった裏剣の八峰を撮り、7峰に残る雪が唇に見せてモンローの唇とは洒落たネーミングを付けている。30分ほどお茶を飲み主と話して午前11時に下山を開始。 下りでH女史の脚が痛みだしペースは上がらないが気丈に弱音を吐かず、登りと同じ時間で下降、夕方4時にベースキャンプに到着する。 真砂沢のキャンプ地は雪渓の真横なので日陰になる夕方は急に冷え込む。テントの中で充実した山行に皆、話題には尽きない。アルコールが回り、女性陣の手抜きの無い食材に重かったけど担ぎ上げてよかったと全て完食。 食後の余韻の中で、当初予定を変更して、下山を剣沢の雪渓を登って室堂に向かいアルペンルートで扇沢に行くことで全員が賛同。就寝する

9/21(月)晴れ 無風
朝3時に起床、テントを撤収して暗い5時にヘッドランプを点けてアイゼンなしで剣沢の雪渓を登りはじめる。途中雪渓の状態が悪く左岸を高巻くが直ぐに雪渓に戻る。1時間で長次郎の出合いに着く。既に多くのクライマーが長次郎雪渓の上部を登って目的の取り付き向かっている。一方、剣沢の雪渓を登るのは連休の中日ということで少なく、剣沢小屋方面からアイゼン着けて下降してくる方が多い。 我々はアイゼンは持参してないが滑ることも無く順調に登っていく。夏に女性陣の一部は剣沢に来ているので思い出話をしながら愉しく登っている。おそらく【はしご谷乗越】側を登っていたらヘロヘロになっていた。3時間弱で夏のベースキャンプ地、三田平に到着。 テント場が溢れて今までに見たことの無い場所までテント張られていた。 剣御前を経由して雷鳥沢に下降、ガスが掛かったり流れたりして、写真には不向き。しかし紅葉は今が最高。雷鳥沢からの登山者が切れない。降りるのに待つ時間が長くなる。

雷鳥沢のテント場を通過し魔の1時間の階段登りが始る。昼の12時前に室堂に到着し直ぐにトロリーバスに乗れる。その後ロープウェイー。ケーブルカーと観光客の渋滞にはまり、扇沢に着いたのが2時半過ぎ。途中の薬師の湯で3日間汗を流し午後4時に一路大渋滞の東京に向かう。 安曇野インター近くから渋滞が始まり、高速に入ったが渋滞情報で新宿に着くのが10時過ぎは間違いないと判断し、S女史が翌日仕事がある為、急遽松本で特急で帰る方向で調整し、松本インターで降りる。18時30分過ぎの特急あずさに乗れ、夜中には自宅に着く事が判り、再度、車組は松本インターに入る、渋滞は激しく大月付近を夜中の12時に通過、それでも渋滞は激しく、談合坂SAで仮眠することになり夜中の2時過ぎにスタートそれでも相模湖までは渋滞、朝4時過ぎに新宿に到着し都庁前で午前6時まで再度仮眠しそれぞれ電車で帰宅する。この時点で解散となる。                                 記録 Y・F



Copyright (C) 2003 RYOHOKAI All Right Reserved.