初冬の茅ヶ岳と1年の総括    

平成28年12月23日

参加者 19名

 

平成28年度の締め括りの計画山行と忘年山行を兼ね19名の参加者により茅ヶ岳に登る 

日本200名山であり山梨100名山で名が知られ、この山がより知られるようになったのが日本100名山の名付け親とでも言うのか故深田久弥氏が山頂近くで急逝されたことでクローズアップされたことである  

12/23 晴れ

朝7時に新宿西口スバルビル前に3台の車が揃い19人が分乗し中央高速韮崎インターに向かう。渋滞も無く途中休憩し9時過ぎに深田公園に到着 共同装備を男性陣に分け、新しいリーダー・サブリーダーのもと指示が出る 山頂でお湯を沸かす先発隊に指名された8名が荷を持ち先行し続いて後発隊が続く。人数が多いときは今後もこのような形態があると考えテストで試みている。9時30分に駐車場をスタートしてほぼコースタイムに近い時間の2時間20分で山頂に到着。風は強いが南風の為、風が止むと暖かい。先行隊がお湯を沸かしており個々に昼食を摂る。午後1時前に19人全員で下山開始、遅れることなく1時間30分で駐車場に到着。荷物を整理し一路新宿へ向かう。渋滞も無く午後4時過ぎには解散をし忘年山行を終える 

さて、平成28年度も数多くの計画山行が実施され会員個々に感じることは違うが参加者により思い出の山行があった事と思います 振り返ってみれば山行に会員の参加が増えた事が特徴づけられた 参加者が夏以降に増え、会活動の活性化が顕著になり其のことにより参加への意識が変わり、先輩後輩が互いに思いやる輪の心が出来てきた事と感じる

個人山行の集団は個々のスキルは伸びても、時が経ち相方が年齢や仕事により山から遠ざかる事で会を去っていくのを見てきた 当会も創立して20年くらいは同じ歴史を繰り返して会員の出入りが多かった 個人山行には同人という山言葉がありそのような山岳会が40年前には多くあったが現在ではその様な山岳会は存続しなくなっている 年齢と共に思い出の山行になり山から遠ざかり酒の場しか集まらなくなってしまう 山岳会の継続は趣味の集まりで年齢構成や男性・女性の構成比も違い体力差かある。特に計画山行には係り・リーダー・サブリーダーの担当の苦労は察します しかし輪の出来ている計画山行の多い当会には承継があり、言葉を替えれば登山手法の全員で登るという伝統がある。創立して数年後に会員を亡くす辛い思い出がある。筆者が亡くなった後輩を穂高の屏風岩の登攀に行った1週間後に谷川岳で若い命が失い暫くの間絶句してしまう 山の怖さを知り会員に二度とこの辛さを経験して欲しくないと思うのは現役先輩会員のリーダー・サブリーダだと思う。

繰り返して言えるのは輪の心を育てることである事。平成29年度も当会は計画山行を基本として会員達の技術向上を願い、会員間の相手を思いやる心を育て、事故防止への啓蒙を指導していく考えです

                                   記録 Y・F



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